結婚を機に人気を失ったとも言われる永井真理子さん。僕も夢から覚めるように歌を聞かなくなってしまいましたが、本当に結婚が理由だったのか当時の心境を振り返りつつ検証してみたいと思います。
永井真理子
- 歌手
- 1987年「oh,ムーンライト」でデビュー
- 代表曲:「ミラクル・ガール」「ZUTTO」
- 「ZUTTO」でNHK紅白歌合戦に出場している。
- 現在、歌手活動はおこなっていない。
- 歌手活動再開されました。
なぜ突然、永井真理子さんのことを書こうと思ったのかというと、なんと真理子さんがTwitterを始めたんですねぇ。僕もTwitterを使っているので、タイムラインにツイートが流れてきたときはびっくりしました。
公式ブログがトラブル発生中で更新できない為、ツイッターとインスタグラム開始のお知らせができないままスタートしてしまいました。皆んな、気付いてくれるかな?笑
のんびり、ゆっくりやっていきますねー‼️— 永井真理子 (NAGAI MARIKO) (@nagai_mariko) April 28, 2017
久しぶりだな~なんて、好きだったアルバムを引っ張り出してきて聞きました。よく聞いていたアルバムなので今でもほとんど歌えます。
あんなに好きだったのに...
パワフルな歌声で1990年前後には横浜スタジアムを満員にするほどの人気を誇っていました。にもかかわらず、急激にファン離れが進みました。僕も離れて行った一人です。
人気急落の理由
wikiにはこう書いてある。
人気急落の原因は永井の結婚・出産によるファン離れや音楽性の変化という諸説あるが、2016年現在も確たる事実は未だ不明である。
ネットを検索してみると、「結婚」「音楽性の変化」のどちらの意見も見受けられますが、結婚説が優勢でしょうか。
僕は音楽性の変化だとずっと思っていました。
ファンになったきっかけ
漫画家、ゆうきまさみ先生の『ゆうきまさみのはてしない物語※1』で永井真理子さんのことを知りました。
実写版パトレイバーがあったとして、主役の泉 野明はだれが良いかという話題で、永井真理子さんに白羽の矢が当たりました。
当時パトレイバーかぶれだったので、この二人が言ってるんなら要チェックって感じでした。急激にハマって、その時に発売されていたアルバムを一気にそろえました。
誌面に出てくる田島さんといのは、CDジャケットの写真やデザインをやっている方で「大好き」もその一つです。
※1 月刊ニュータイプに掲載されている漫画エッセイ。連載開始が1985年と、名実ともに「はてしない物語」となっている。単行本は現在までに2冊(文庫は除く)で、1から2巻には11年のあいだが開いている。
アルバム
タイトル | 発売日 | 最高順位 | |
---|---|---|---|
1st | 上機嫌 | 1987/08/26 | |
2nd | 元気予報 | 1988/01/25 | 35 |
3rd | Tobikkiri | 1988/09/27 | 4 |
4th | Miracle Girl | 1989/05/24 | 3 |
5th | Catch Ball | 1990/04/18 | 2 |
6th | WASHING | 1991/06/26 | 1 |
7th | OPEN ZOO | 1993/03/17 | 2 |
8th | Love Eater | 1994/06/08 | 5 |
9th | Kiss Me Kiss Me | 1995/04/12 | 7 |
10th | You’re… | 1998/07/29 | 49 |
11th | ちいさなとびら | 2000/12/06 | |
12th | そんな場所へ | 2002/01/30 | 97 |
13th | AIR | 2004/04/02 | |
14th | Sunny Side up | 2006/04/07 |
僕が買ったのは8thアルバムの1994年6月発売の「Love Eater」まで。そして婚約発表は1993年7月31日、横浜スタジアムのライブの中です。
つまり婚約発表後にもCDを買っているということです。結婚そのものが離れて行った理由ではなかったからです。
では、順を追ってアルバムを振り返ってみます。
1st『上機嫌』
「Slow Down Kiss」はライブでもおなじみです。「One Step Closer」もいいです。CDとライブでは歌い方がだいぶ違いますね。僕はライブのパワフルな歌い方の方が好きです。
2nd『元気予報』
何と言っても「Mariko」ですねぇ。ライブでマイクを観衆に向けて「わたしはまりこ~」の合唱は最高ですね。「瞳・元気」もいいけど「Brand-New Way」みたいな元気系の歌の方がいいと思うな。
1st,2ndまでは全的に軽い感じです。声もちょっと抑えた感じです。
3rd『Tobikkiri』
「自分についた嘘」からが永井真理子の真骨頂と勝手に思っています。「20才のスピード」も「Dear My Friend」もイイ。
2ndまでとは雰囲気が変わってきて、パワフル真理子の幕開けといったところでしょうか。アルバム全体では半々という感じですが、パワフル路線の方が好きなので、このアルバムもよく聞きました。
4th『Miracle Girl』
アルバムタイトルがMiracle Girlとなっていながら、シングル曲「ミラクル・ガール」は入っていません。
「TIME」は映画ガンヘッドのテーマ曲。これがアルバムの先頭曲で一気に盛り上がります。そして最後の「Keep On “Keeping On”」につながります。「Keep On “Keeping On”」は名曲でライブの定番です。
このアルバムを一番よく聞きました。全盛期だと思っていますし思い入れが強いです。
Miracle Girlツアーのライブビデオ(レーザーディスク)も買いました。ライブでも「ミラクル・ガール」は歌っていないので、ビデオにはMVの一部が収録されていました。
このライブビデオは擦り切れるほど見ました。レーザーディスクプレーヤー付のミニコンポを買った時期とも重なり本当に何度も見ました。
今はDVD版を持っています。
5th『Catch Ball』
「23才」と「キャッチ・ボール」は最高です。「ミラクル・ガール」も収録されています。
アルバム全体を見渡すと曲調がちょっと変わったかなと感じました。雲行きが怪しくなってきている感はあったものの、次回作も期待できるレベルです。
結構聞いた方ですが、以前のアルバムほどは聞いていなかったと思います。
6th『WASHING』
曲調が変わり求めていたものとはズレてきてしまいました。そこそこ聞いていたと思うんだけど「私の中の勇気」以外は思い出せません...
7th『OPEN ZOO』
まともに聞けなかった。
数回は再生した覚えはある。
8th『Love Eater』
再生してみるもののやっぱり駄目だった。
前作でコテンパンにやられたのに、なんで買ったんだろう。
心のどこかで期待していたんだとは思う。
今、曲のタイトルを見てもひとつも分からない。
ジャケットの雰囲気も変わってしまいました。
聞かなくなった理由
曲調、音の変化があって、好みに合う合わないはあると思います。でも、それより大きな変化が歌詞にあったことを感じていました。
一人から二人へ...
歌詞の中に登場するのは、自分が中心で友達や家族が出てくる程度でした。でも、とある時から「あなたとわたし」が中心になっていきます。
とある時というのが、真理子さんの結婚の前後です。
「私の中の勇気」が僕にとって記憶に残る最後の曲になったのは、自分を応援する最後の歌だと感じていたんだと思います。
wikiによると「Kiss Me Kiss Me」のオリコン最高順位が7位で、次作「You’re…」は49位が最高です。順位だけなので確かなことは言えませんが、僕以外のファンの方も同じ心境だったのかもしれません。
当時聞くことができなかったアルバムを今再生してみると、不思議とすんなり受け入れることができます。
自分も結婚して環境や感じ方が変わったのでしょうか。
上にも書いたように、僕は「音楽性の変化」により離れて行ったと思っていました。自分も結婚して受け入れることができるようになったのなら、「結婚が理由だった」と言えなくもないですね。
それでもやっぱり「Miracle Girl」最高!
▼80年代ミュージック▼
コメント
全く同感です。
私の場合はcatch ballでの微妙な違和感がwashingでトドメを刺されました。
open zooは買ってもいないです。
brand new wayとready strady goが好きです。
WASHINGを聞いた時の落胆は大きかったですね。
ライブビデオの「miracle girl tour’89」がセットリストも含めて最高峰だと思っていますが、DVDの販売,ネット配信されていないのが残念です。
たしかデビュー当時、CBCラジオの小堀勝啓のゲストに来ていたような覚えがあります。
白鳥のセンチュリーホールとか、名古屋城夏祭りの野外コンサートにも行きました。
レーザーディスクも購入しました。MIARCLE GIRLのVIDEO SINGLE DISCもあります。
X68000で彼女の曲を打ち込みしていたのを思い出します。懐かしいですね。
デビュー時の事務所の売り出し方と、彼女のやりたい音楽性の違いがでてきたのでしょうか。
それだけ彼女の実力が付き、実際にアルバムに反映できたというのは、すごいことだと思います。たしか、ラジオで彼女自身から変化についての告白があった記憶があります。
元気印?の彼女のイメージからの変化には、自分も戸惑いましたが。
未だに車のキーホルダーには、MIRACLE ENGINE TOURのものがつけてあります。
テーブル筐体とか、ほんと他人とは思えない。
ぱぱぴぃさん
当時、友人から「ロックをやりたかったみたい」と聞いた記憶があります。
その友人とは「なんか変わっちゃったよね」と会話した記憶も。
やりたいことがやれるようになったことは、ファンとしては嬉しいことなのですが期待していたものとズレが生じてしまったことは残念でした。
レーザーディスクは「ミラクルガールツアー」「ハートビートツアー」「横浜スタジアムライブ」の3枚を購入しましたが、こちらもやっぱり「ミラクルガールツアー」を見た記憶しか残っていません...
ちなみにLDプレーヤーは、LDコンポの「パイオニア WAVE」でした。
CBCラジオということは、ぱぱぴぃさんも中部圏の方?
僕は「冨田和音株式会社」をよく聞いていました。
「冨田和音株式会社」に出演していた久松史奈さんも大好きだったのですが、彼女もデビュー当初とは打って変わって真のロックンローラーになってしまいました...
ゆうぱぱさん
中部国際空港近くの田舎です。実家は海パン一丁で海に行ける場所で、ぐっさんビーチ
ハウスの近くかも。
ファンハウス繋がりで辛島美登里もよく聞いていました。
その前は、アイアンメイデン、オジーオズボーン、マイケルシェンカーグループ等のメタラーでした。最近のBABY METALの影響でメタラーに戻りつつあります。個人的に北欧メタルが熱いです。
LDプレーヤーは、パイオニアCLD-939が現役です。
ぱぱぴぃさん
僕は岐阜なので、日常生活でニアミス的な遭遇はなさそうですね。
書き込みを見て思い出しましたが辛島美登里は僕も聞いてました。
今よく聞いているのはCHiCO with HoneyWorksとRADWIMPSです...(ミーハー)
こんにちは。
「永井真理子 全盛期」と検索していたら、トップでここが出てきました。
DENONのD1200のヘッドホンのチェックに「Pocket」を聴いていたら、そう言えば何故彼女を見なくなったのだろうと思い出し、上の検索をかけた次第です。
私にとって永井真理子はドラマ「オイシーのが好き」から入ったようなもので、最終話「友達に戻れますか」で、銀座マリオンでの松下由樹と藤井郁弥のシーンに、keep on “keeping on”がかかるのですが、それが本当に心に響き、まいりました。
実は私はそれ以前の転職時代に、ファンハウス(当時新宿御苑の近くの小さいビルでした)を受けたことがあったのですが、その時に永井真理子はすでにいたものの、興味がなく全く聴きませんでした。あの時に入社していれば、永井真理子となんらかの関わりがあったかもしれないと思ったものです。まあ、入っていれば永井真理子だけでなく、ファンハウス自体の衰退を見たかもしれませんが。
私は恵比寿に住んでいるのですが、リキッドルームというライブハウスの前をよく通ります。ふと、永井真理子がここで歌ったらと思う自分がいます。今でも歌っているようなら良かったのに。
よくわからない書き込みで失礼しました。
Andantinoさん
真理子さん、今も歌ってらっしゃいますよ。
セルフカバーアルバムも出ています。
僕はあいかわらず昔のものを聞いていますが。
聞き慣れてるってこともあるけど、元気になるというか当時の感覚が蘇る感じがするんですよね。
真理子さんを知ってから30年も経っているので若くはないですが...